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上司からもらった一言 [為になる話]











ウチの上司はオレの同僚のSばっかりにキツくあたってたけど
そのSが事故で亡くなっちゃってその葬儀のときに泣きながら
「10年後のオマエを見て怒っていた・・・10年後のオマエは出来る男になってた」
って言ったときは目から水でた

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約10年くらい前の話。
そろそろ付き合っていた彼女と結婚を考えていた。
仕事の遣り甲斐も感じ、結婚しても仕事を続けたいと希望していた彼女と俺に
とってはまさに好条件が整った状況下で不運は突然訪れた。

地方への転勤。
全く異なる業務と理不尽な異動。
今思えば確かに上司と意見が食違いぶつかりあう事も多かった・・・。
どうしても納得出来なかった俺は、転勤して3日以内に辞めてやるっ、
更に憎まれ口を叩かれる存在になってやろうと決意した。
俺は転勤した後、誰とも口を聞かずまともに仕事もしなかった。
流石に3日でやめる勇気もなく1ケ月が過ぎたころ、残業中の俺に上司が声を掛けてきた。

「飲みに行かないか?」
行きたいとも思わなかったが断る理由もなかったので行く事にした。
店に着くとすぐに「何を悩んでいるんだ?」
普段、比較的厳しい人だったので突然、屈託の無い笑顔でそう言われた事にいささか拍子抜けしてしまった。

俺は矢継早に自分の主張や将来やりたいと思っていたこと、
そして何より彼女と真剣に結婚を考えていた事を正直に話した。
すると上司は「そうか、わかった。」
少しうつむき加減で答えたその言葉は俺にとってどう解釈してよいものなのかその時は分からなかった。

それから3ケ月が経過し突然上司から会議室へ呼ばれた。
概ね察しはついた。
どうせまた、悪条件での転勤だろうと。
あんな事、言うんじゃなかったとその時は後悔した。
ところが話しを聞くと転勤には変わりなかったのだが、俺が希望した好条件での転勤内容だった。
驚いて「なぜですか?」と弾む言葉を抑えながら質問した。すると、

「仕事以上にお前の一生を大切にしてやりたい。これからの人生を頑張れ。」
そう言われた。あれから10年経過するのだが今でも強く印象に残っている。

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年老いた係長に「駄目な息子と一緒に仕事しているみたいだな(藁」
幼い時に父親を失った俺にとってはうれしい一言だった・・・。
よく飲みにも連れて行ってくれたっけ。昨年退社しちまったけど
○○さん、元気かなぁ・・・。

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大卒から勤続8年目。
俺は上司含め、同僚が苦手、というかあまり好きではなかった。
ワイワイと騒ぐ職場で馴れ合いもせず、昼飯や飲みも付き合いはするが仲良い同僚なんてのもいなかった。
そんな俺の性格を理解してか、周りもあまり俺に近づいてこようとはしなかった。(仕事外ではね)

ある日外回りから帰ってさっさと席につきコツコツと事務処理をやっていた時の事。
上司が近づいてきて、「○○く~ん、このあいだの件(極秘な)ゲットできたらしいな、よくやった!」
…普段どんないい事しても褒めもしない上司が、褒めた。
しかも超笑顔。

さらに部下が
「○○さん、明日某客先に行くんですけど、教えてもらえますか?」
って、普段怖がってか俺に聞かないで俺より下の奴に質問してるおちゃらけ若者が俺に質問してくる。

とどめに女の子がコーヒー持ってきてくれたり。

明らかに俺は優遇されすぎていた。おかしい。
この時期に昇進か?まさか転勤…妻子も家もあるのに。って考えてたら。
やたら背の低い影が俺に近づいてきた。

息子だった…
びびって椅子からころげ落ちた。
どうやら幼稚園で父の仕事を発表する事があるらしい。
聞いてない。
のは俺だけで、嫁が事前に上司に許可もらってたと。

それで皆おかしかったのか、息子もなんだか嬉しそうだしいいのかな。
普段の俺を見たら寂しそうだなぁとか思ってただろうな。
その夜飲み会があった。
今回の件、課長が根回ししてくれてたり、うるさい若者が自ら話しかけにきたいと言った事とか、いろいろわかった。
泣いた。

それからは仕事に感情をだせるようになった。
仕事が、職場が楽しいと思えるようになった。
そして息子の発表会は行けなかったが、とても誇らしげに語ったみたい。

皆大好きだ!





自分のミスをかばってくれた上司。
漏れがお得意様の逆鱗に触れてしまったのだ。

上司はその事に誠意を持って陳謝してくれた。
プロジェクトからも外される覚悟でいたが、こう言った。
「プロは金をもらっている人間の事じゃない。金を払ってでも
その仕事をやってもらいたい人間の事を言うんだ。
お前にはその素質があるし、今後もこのプロジェクトに参加し続けてもらいたい。」
正直、トイレで泣いた・・・。
漏れはこの人の為に今、仕事をしている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

すべては自分たちの失敗から始まった取引先顧客への大損失だ。

社長室へ呼ばれオレも辞する覚悟はしてたものの、上司の口から出た言葉は、
「すべて私の責任です。彼らには仕事の楽しさを教えてあげる事さえ私は出来ませんでした。」
スッと差し出した辞表。
何故かその表情は安堵に満ちていた。
社長は「分かった」とだけ言ってその辞表を受け取る事はなかった。

あれから5年、その上司は社長になりあの時、辞表を差し出したときに
何故おだやかな表情をしていたかを勇気を出して聞いてみた。

「当たり前だろ。
もっとも信用していた君達に自分が愚直にやってきた仕事を
引き継げる、そう思ったからじゃないか。
何も不安は無かったよ。」

あんなに迷惑を掛けっぱなしだったのに・・・。
私達も頑張ります。
少しでも貴方に近づける様に。

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世の中捨てたもんじゃないと思えた話 [為になる話]











私が生まれた頃の話だから、かれかれ20数年以上も昔の話でごめんなさい。

母がマイナスの血液型で、もし私がマイナスの血液型として生まれてきたら全部血をとりかえなければならない、
とかなり深刻な状態になっていたそうです。
それをポロリと会社で涙ながらに父が口にしたそうです。

そうしたら、なんと父が知らない間に、社長が一声かけ、
翌日、社員全員が献血手帳を持ってきたんだそうです。
間もなく生まれてくる子供を救うためと言って。

そして難産の末、私は生まれました。
結果、プラスの血液型。
血をとりかえる必要はなくなったから、献血手帳は結局無駄になった
けど、私にとっては本当に感謝してもしきれないありがたい話でした。

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10年以上前、俺が喘息で苦しんでいた学生時代のこと。

自宅で発作に襲われ、運悪く薬を切らしていたので病院に行くことに。
通常なら病院まで自転車で2分くらいなので、発作による呼吸困難をこらえて
こぎ出したのだけど、もうちょっとで病院が見えるというところまできて、
息が詰まって動けなくなってしまった。
酸素不足で、頭のなかはもう真っ白。
死ぬかもしれない。
でも、死んだほうが楽、ってくらいの苦しみ。

そこへ通りがかった30歳前後の男性が、
俺の様子をみてただなぬ気配を感じたらしく、声をかけてくれた。
俺が息もたえだえに病院の名を告げると男性はなんと背中を貸してくれた。
俺をおぶって病院まで運んでくれた男性は、すぐに引き返すと、
今度は停めてあった俺の自転車を病院まで届けてくれた。

あの時、息が苦しくてうまくお礼が言えなかったけど、涙がでるほど嬉しかった。
大げさだけど、神をみたような気がした。
ずっと忘れていたんだけど、このスレをみて記憶が甦った。
似たような状況に遭遇したとして、自分に同じことができるだろうか。
いや、やらなくちゃって思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

高校へ電車通学してた頃の話、学園祭でいつもより遅い時間の電車に乗ったら
勝新ばりの893が席に座ってたんだが、なんとその勝新がお婆さんに席を譲った。

その光景を目の当たりにした俺と友人は
「本物の893は堅気には優しい」と思い
内心「勝新やるな!」と思った。

翌年、朝家から出て1分で原付きに接触され左手を骨折してしまい
病院に行って学校へ向かう途中なんとあの勝新がいた。
勝新は俺に席を譲ってくれようとしたが、お婆さんが居たのでお婆さんに譲った。
勝新は俺の方を見てニヤリと笑った。

そして去年。
空き巣の被害にあったので警察署に行くと、なんと勝新がいた。
勝新は刑事だった、しかも俺の事を覚えていてくれた。
この不祥事続きの警察の中において小さな事だが親切な刑事が居ると思うと
世の中捨てたもんじゃ無いなと思った。






ちょっと頑固な親父のいるラーメン屋で。
最近の名店ってやつは「俺はラーメンの達人だ」みたいな客が多くて、
異様に静かでさ、みんな眉間にしわを寄せちゃったりしてるんだよね。

で、ムスっとした顔の親父とラーメン道達人みたいな客の殺伐とした中に、
ちょっと不似合いな小学校低学年くらいの少年とその親父が入ってきた。

で、その少年、一口ラーメンを食った瞬間
「美味しい!すげぇ美味しい!」と。

それからも夢中になってラーメンをすすっちゃあ
「俺、しあわせだぁ~」。

初めは「うっせぇな」くらいしか思ってなかったんだけど、
なんか俺のラーメンまで美味い気がしてきた。
いつもなら客の私語を平気で怒鳴りつける店主も、
なぜかソイツには何も言わない。

で、最後までがっつくように食ってた少年、
最後に店を出る時に店主に一礼して
「とっても美味しかったです!ごちそうさまでした」と出て行った。

店の外から
「俺、この味一生忘れないよ!」
と興奮した声が聞こえた時、頑固店主がニヤリとしたのを俺は見逃さなかった。

その日のラーメンは俺にとっても最高に美味いラーメンだった。
素直な感性に触れて、世の中まだまだ捨てたもんじゃないな、と思った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

じゃあ、書き込んでみるか。
電車乗ってて、電車が急ブレーキ。
前に立ってた若い女性がよろけた。
そしたら隣に座ってたおばちゃんが、その女性に
「あなた妊婦さん?ここ座りなさい」
と席を立った。

全然お腹は目立って無くて、お腹を片手で触ってただけ。
女性も「わかりますか?」と驚いていた
おばちゃんは「しぐさでね」と自慢げだった。
よろけたさいにお腹をかばう仕草かなんかで気づいたんだと思うけどすごいと思った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

激務激務の中での九州出張命令。
飛行機に乗る寸前まで仕事をしていたせいか、なかなか頭が切り替わらず
ボーゼンと電車に乗ろうとしていた時ふと気がついた。

「あ、搭乗手続きに間に合わないじゃん」

財布を見ると所持金5000円。
アワアワ。
速攻タクシーをつかまえて5000円で羽田まで行けるか訪ねると
「あと、2000円足りないかな」と。
大きな荷物持って銀行行ったりしたら絶対間に合わない!!!と
ションボリしていると

「急いでるんでしょ?
 お姉ちゃん乗りな!」
と運転手さんニッコリ。

運転手さんに飛行機の時間を伝えると
「ギリギリ間に合うよ、
 というか間に合わせる。
 しっかりつかまれ」
 
と、鬼のようなスピードで一気に高速へ。
その間話してくれた運転手さんの武勇伝は楽しかった。
(東京駅から新横浜まで新幹線追っかけて間に合った、とか)

無事出発の10分前に空港に到着。
所持金全部はらってほぼ無一文状態で飛行機乗ったのは
初めてだったけれど、
あの運転手さんに会えていなかったら、と思うと…。

ワタナベさん、
ホントにありがとうございました。
おかげさまで九州出張はいい思い出になりました。
あと、最近財布にはなるべく1万円以上をいれておくようになりました。
ご迷惑おかけしました。

忙しいと、あの時の運転手さんをふと思い出すんです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

社会人1年目のちょうど今頃、朝の地下鉄車内で痴漢に遭いました。
ものすごいラッシュで逃げようもなくて、半泣き状態だったところ

「悪ぃな、ちっと詰めてくれや」

と大きなカゴを持ったおじさんが痴漢と私の間に割り込むように立ってくれて
痴漢のおやじをぎろりと睨みつけてくれました。
その後、痴漢が電車を降りるとおじさんは本当に小さな声で

「ああいうのはどうしようもねぇな。
 ・・・すぐ気づかなくてゴメンな」。

ありがとうございます、と言うのが精一杯の私に

「俺も娘がいるんだよ、
 あんたもお父ちゃん大事にしてやってくんな」
 
と照れ笑いしていたおじさん、
本当にどうもありがとう。

私は小さいころ父親を亡くしていたので、
天国の父が助けにきてくれたようで
実はその後、嬉しくてちょっと泣いちゃいました。
東京の日比谷線でのことでした。
おじさんは築地まで行ったのかな・・・。




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