最後の夜 [感動する話]
1年間同棲していた彼が他界した。
大喧嘩をした日、交通事故に遭った。
本当に突然の出来事だった。
その日は付き合って3年目の記念すべき夜だった。
しかし、仕事が長引いてしまって約束の時間に帰宅する事ができず、せっかく彼が用意してくれた手製の料理が冷め、台無しになってしまった。
いつも通り軽く詫びを入れて事を済まそうとしたが、その日の彼はいつもとは違い、私に対してきつくあたった。
丁度その時私は気分も優れず、仕事のストレスもあってか、そんな彼と話していくうちに強烈な憤りを覚え、つい言ってしまった。
「もういい!こんな些細な事でそこまで怒る事ないでしょ!あなたは自分の都合でしか物事を考えられないの!?」
彼は黙った。
少しの間の後で、私も少し言い過ぎたと思い、黙って席を立ち、界隈を散歩して頭を冷やそうと思い、一旦家を出た。
いつも通う小さな喫茶店で、30分少々の時間を潰した。
あの人もただ単に怒りに任せて私に怒鳴り散らした訳じゃない。
それだけ今日のこの日の事を大切に思っていたからこそではないか、と考えた。
そんな彼の気持ちを思うと明らかに私の振る舞いは最低だった。
身勝手な自身を忘れ、改めて彼に謝ろうと思い、家に向かって歩いた。
しかし、彼は家には居なかった。
料理も、携帯電話も、机に置いたままだった。
マメなあの人が携帯電話を忘れるのは珍しく、近くにいるのかと思い、私は家を出て近辺を歩き回った。
しかし見つからない。
公園や近くの空き地も見たが、彼の姿は無かった。
彼の実家や、携帯を調べ、彼の友人宅等にも電話を入れたが、来ていないと言う。
家に帰り、2時間が経過した。
私はその時考えていた。
帰ってきたら頬をつねってやろうと。
幾らなんでも心配させすぎだ、悪戯が過ぎる、と。
明日は休日だからこんな事をするんだろう、と。
それが彼との最後の夜だった。
事故現場は家周辺の一方通行の十字路だった。
横から飛び出してきた車と衝突、即死だったそうだ。
時刻はPM10:20、丁度私が家を出て10分経過した時間だった。
その際彼が持っていた遺品は、缶コーヒー1本、女性用のガウンジャケット、現金で120円だということを聞かされた。
私のガウンジャケット、まだ未開封の缶コーヒー、私の為のジュース代。
細やかな気配りの中に、彼の深い愛情と優しさが感じられた。
一緒に帰りたかった。
その言葉を心の中でつぶやいた。
同時に私の目から涙がとめどなく溢れた。
改めて、彼という存在の大きさに気付いた。
ただ、情けなくて、悔しかった。
越えられない存在 [感動する話]
【超えられない存在】
去年の夏、父が死んだ。
ガンだった。
それまで病気一つしない父だったが、
亡くなる2年前からガンを患っていたらしい。
家族の誰もが父がガンだっとという
事実を知らなかった。
父が亡くなる1週間前に仕事中に倒れ、
病院に行って初めて父がガンだと知った。
父は2年前から1人黙って抗がん剤の治療を
していたが、ガンの進行が早く、父は担当医に
「家族には知らせないでほしい。
このまま家族の元で死にたい。」
と言っていたらしい。
僕はその頃、実家を離れ看護の専門学校に
通っており、学校に電話が来た。
父が亡くなったという知らせだった。
僕は何がなんだかわからなかった。
急いで実家に帰った僕を待っていたのは
体の冷たくなった父だった。
僕は母に事情を聞いた。
「お父さんはガンだったみたい。
お母さん達もこの前知ってビックリしてたの。
それとね、お父さんが倒れた時に○○に
は伝えるなって、
あいつは今、看護師になる勉強を頑張って
いるから心配はかけるなって言われたから
連絡はしなかったの。」
僕はそれを聞いて泣き崩れた。
「ふざけるな!!
なんで黙ってたんだよ!!
最後くらいちゃんとありがとうって言わせろよ!!
今まで育ててくれてありがとうって言わせろよ!!」
と叫んだ。
その日は1日中泣いていた。
父が亡くなって1年が過ぎ、僕が看護師
として働き始めて間もないある日、
母から1本のビデオテープと手紙が
届いた。
手紙を読むと
「お父さんが○○が看護師になったら渡して
ッて言われて、お母さんが預かってたの」
と書いてあった。
ビデオを見ると、そこには病院の
ベッドにいる父が映っていた。
父からのビデオレターだった。
「○○元気でやってるか??
お父さんも元気だぞ。
お前がこのテープを見てる頃には
お前は看護師になってるんだろうな。
よく頑張ったな。
でも、お前を祝ってやれなくてごめんな。
お父さんはガンでもう近くにはいないんだ。
お前を育てて20年本当にお前が生まれて
きてくれて良かった。
昔から息子が欲しくて3人目でやっと
お前が生まれてきてくれて本当に
嬉しかったよ。
お前とキャッチボールをしたり、一緒に
風呂に入ったりするのが夢でその夢が
叶って良かった。
でも、本当はお前と酒を飲みたかったし、
お前の子供にも会いたかったよ。
なあ○○、お父さんはお前にとって良い
父親だったか??
お前の目標としてお前の前にいれたか??
やっぱりお父さんじゃダメだったかな。
お父さんはお前に会えて本当に幸せだ
たよ。
お前と20年しか一緒にいれてやれなかった
けど、本当に楽しかった。
ありがとう。
いつまでもお前を見守ってるからな。」
それでテープが終わった。
テープを撮った2日後父は亡くなった。
僕はテレビの前で泣き崩れていた。
父の1回忌に墓参りに行き、
父に伝えた。
「父は最高の父親だったよ。
今でもお父さんは僕の一生超えられない
目標だよ。
本当に今まで育ててくれてありがとう。」
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素晴らしいお父さんと息子さんですね。
私でもこの可能性はゼロではない。
感謝の言葉を伝えたいときに伝えようと
思います。
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