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思い出のたばこ [感動する話]











大好きな叔父さんがいた。

柔道をやってた叔父さんはガッチリしてて、酒も強かった。

少し酒臭かったけど叔父さんの膝の上が好きだった。

ずっと兄が欲しかった親父も「兄貴」と親しんでいた。

叔父さんは俺の誕生日にいつも欲しい物をくれた。

遠慮がちの子供だった俺は親にも欲しい物を言ってなかったのに、

どういうわけか俺の欲しかった物をピタリと当てて買ってきてくれていた。

小学校最後の誕生日に叔父さんが家に来た。

「はい。誕生日おめでとう。」と渡されたのは安いトランプだった。

全然嬉しくなかったのに俺は一生懸命笑顔を作って「ありがとう」と言った。

残念がってるのにそれを隠そうとする俺を見た叔父さんは「男だな、お前は。」とニコっと笑って、

後ろに隠していた当時並んでも手に入らなかったスーパーファミコンとソフト3本を手渡してくれた。

そんな意地悪をする叔父さんが憎かったけど大好きだった。

叔父さんが次の日、突然失踪した。


原因は当時わからなかったけど今思えば納得がいく。
金があればすぐブランド物に手を出す叔母さん、そんな娘を何よりも愛する祖父。
比較的高学歴高収入のウチの家系で高卒の一般サラリーマンの叔父さんをよく思っていたのは俺と俺の両親だけだった。

いつの間にか叔父さんの失踪も記憶から薄まってきた10年が過ぎたつい先日、
大学から帰った俺が部屋に着いて煙草に火をつけて間もなく、母親が俺の部屋のドアをノックした。
「○○叔父さんね、死んだって」

ウチの家系からは誰も葬式に出なかったらしい。

俺の両親も妻や祖父に止められてどうしても出させてもらえなかったらしい。

(そもそも叔父さん側の肉親がウチの家系を憎んでいたため簡単には出れるとは思っていないが。)

俺は悲しみと悔しさで涙をこらえるのが精一杯だった。

母が俺の部屋を出るときに言った。

「あんたは覚えてないかもしれないけどね。あんたが吸ってるその煙草、叔父さんも吸ってたのよ。」

せめて煙草の火を消すまで泣くまいと思ったが、ドアが閉まってすぐに声をあげて泣いた。



火を付けただけでほとんど吸わずにフィルターまで灰にした思い出の一本。

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吸い出してから田舎に遊びに行った時、いつも帰る寸前は、軒先で吸っていました。

それを見ていた家の叔母ちゃんが、「そこで吸うと美味しいかろ、爺さんも、父さんも、

そこで、吸ってから、家を出ていったんよ」と聞いて(爺さん、父さんと一緒に吸ったことがない)

それから、弟と二人、少しでも、親父達と共通の思い出の時間がほしいと、火をつけて

吸わずに、ずっと、そこから見える風景を眺めるようになりました。


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大学に入って彼氏が出来た。
私の事が好きだと言って、この人なら好きになれそうだと、押されて付き合った。
話しの流れで私が煙草を吸ってることを知った彼は、「もう吸わないで」と言った。
私はその時「付き合ってるからって指図されたくない。
○○(彼氏)の前では吸ったりしないし、関係ない。なんでそんな事言うの」
とちょっと不機嫌になった。

でも彼は、好きな人の身体を心配するのは当然だよ、吸ってほしくないと言った。

いまいちピンと来なかったけど、一生懸命そう言う彼を見て、もう吸わないと言った。

彼も以前は煙草を吸っていた人で、ヘビースモーカーの友達とバイトしていたときには

ガマン出来ずに喫煙してた時があった。

その時私は「人に吸うなっていうんだから○○も吸っちゃだめだよ」と怒った。

また彼は煙草をすわなくなった。二人で煙草はだめだよと言い合った。

今思えばそれもちょっとした束縛だったのかな。



私は彼を本当に好きになって、好きな人と一緒にいる喜びとか、愛しさを知った。

でも、私の気持ちが彼への思いでいっぱいの時に、彼の気持ちはゆっくりと冷めていった。

彼の変化に戸惑って、何度も電話したりメールを送った。
この先どうなるんだろうと思って眠れない夜を過ごした。食事も食べられなくなって、4キロ痩せた。
結局そんな毎日に疲れて、私は彼に「別れよう」とメールを打った。
彼は引きとめもせず、あっさりと私達の関係は終わった。
煙草を買って火をつけて、一緒に撮ったプリクラと写真と、二人で行った場所のチケットを破って捨てた。

毎晩毎晩泣いて、彼の夢を見て、朝起きて途方にくれる。
いつかまた、私を愛してくれる人が現れたら禁煙しようって思います…。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

では俺も一服。
数年前、姉が死んだ。白血病。煙草が嫌いで、酒は二十歳で止めていた。
2年近くも無菌室に入っていて、白い肌が自慢だったのに、死んだときは真黒になってた。
自分自身、「いつ死んでも動じない」ってつもりでいたし、通夜の夜はそうしていた。

お葬式が済むと焼き場に行った。みんなが泣く。こいつら馬鹿じゃないかと思った。
一旦家に帰り、時間を潰して、焼きあがったころにもう一度焼き場に行く。
骨だけになっていた。それを壷に入れて、箸で潰して、ぐしゃぐしゃにして蓋をする。
身長160センチの姉が高さ40センチに満たない壷に収まった。

急に泣きたくなった。隠したくて、胸元探りながら親戚の兄ちゃんに訊いた。
「煙草吸っていいですかね?」
声が初めて震えた。兄ちゃんは困った顔で「駄目だろ」と言った。
それから自分でも止められないくらい泣いて、父親にしがみついて泣いた。




帰って、誰にも見られない部屋で吸った。
フィルターが手についた涙でふやけるくらい泣きながら。
ふやふやになった煙草の味と形。忘れられない一本です。

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そいつは何も取り柄の無い…むしろ、ダメな部分しか無い奴だった。
学生時代はイヂメしか思い出が無く、小企業に入っても
仕事の失敗ばかりを繰り返しては上司にしかられる毎日。
もちろん、彼女もいなければ20になっても童貞のまま。
人生が嫌になって、とうとう首をくくる時が来た。
死んだほうが生きているよりもいいだろう、まさしく死んだほうがマシ ってやつだ。
でも、いざロープを目の前にすると恐怖でなかなか先に進めない。
死ぬ勇気すらも無い、完全な落ちこぼれ 社会のゴミ。
そんな彼は、21という若さで会社をクビになった。
死ぬ勇気も不良やホームレスになる勇気も無い。
まさしく生き地獄だった。

実家に帰り、嫌で仕方の無かった親の家業を継ぐことになった。
親はしがない町のおもちゃ屋だった。
近くの小学校の全校生徒合わせて10人もいないガキが客。
おもちゃが売れるわけも無かった。
そんなある日、親父が42という若さでこの世を去った、死因は単なる風邪だった。
そして、とうとう店をたたむことになった。
おもちゃは捨てるのはもったいないので、売ることにした。
そして、人生の転機は訪れた…

古いおもちゃのほとんどに莫大なプレミア価格がついているものが山ほどあったのだ。
そして、その日初めて 親父と同じマイセンに火をつけた。

今、その彼はマンションを買い、生活費も楽に稼いでいる
嫁も子供も出来て幸せな生活が手に入った…
親父の吸っていたマイセンをくわえて毎日親父の遺影に手を合わせて
心から感謝の言葉を並べる。
線香と1本のマイセンを立てて…

今日も俺は親父への感謝を忘れない。

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高3の秋、大好きだったおじいちゃんが亡くなりました。

母方の祖父で、私は(今もですが)父と仲が悪く、あまり好きじゃなかったので
父に怒られたり殴られたりした時はいつもおじいちゃんの家に逃げていました。

高校生になってもボロボロ泣いて飛び込んでくる私におじいちゃんは何も聞かずに、
たくさん用意してあるお菓子を目の前に出しては
「そんなに泣かないでいいから、これ食べてお茶でも飲め」
と、慰めてくれました。

仕事熱心であんなに元気だったおじいちゃんも、4年前に膵臓癌で亡くなりました。
最近おばあちゃんと2人で、おじいちゃんの使っていた農作業用具の物置を掃除していたら、
見覚えのあるタバコ入れが落ちていました。
病気になってから家族に喫煙をとめられていたにもかかわらず、きっと物置に隠れて
こっそり吸っていたんじゃないかと思います。

小さい頃からいつも見ていた青いタバコ入れが物置にポツンと落ちているのを見て、
私は涙が止まりませんでした。
たまに大声で怒鳴っても、私にはいつも優しかった。
昏睡状態に入る何日か前、私に笑いかけながら言おうとした言葉は何だったのか、
聞きたいことも話したいこともまだまだいっぱいありました。

4年経った今でも、ぶどう畑に行けば、青いタバコ入れを胸ポケットに入れたおじいちゃんが
黙々と働いているんじゃないかと思ったりもします。

タバコ入れはお仏壇の引き出しにしまってあります。
いつか私が結婚して家を出ることになったら、持って行きたいと思ってます。




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